『ルゥとよゐこの悪党稼業』に引き続き読んだら既視感。以下、類似点を箇条書き。
・異世界のヒロインと主人公が不本意な契約を結ぶ
・ヒロインは徐々に主人公に惹かれていく(ツンからデレへの移行を描く)
・クライマックスではライバルと対立するが、ライバルは女性で自分と同等の能力しか持たない
・ヒロインがゴスロリ
現在のラノベにおいてよく見る共通点だと思う。
ツンデレ・ゴスロリのセットはいい加減にして欲しい気もするがまあそれはそれとして、クライマックスでの対立が「圧倒的な力を持つ強敵」ではなく「同等のライバルである」というのはここしばらくのトレンドのような気がする。
主人公が傍観者であり、異能を持つのが少女であるフォーマットにおいて、主人公が強敵を倒して成長するモデルは通用しない。かといって一人称視点ではない少女を成長させてもカタルシスは薄い。
そこででどうするかというと、力関係が同等である「ライバル」を置き、クライマックスのカタルシスを「ヒロインの内面的成長」に求めるのだ。主人公と関わることにより、ヒロインは内面的に成長し、ライバルを退け、「ツン」から「デレ」へと移行する。なるほど、納得!
さて、立て続けに読んだこともあって、自分は『ルゥとよゐこの悪党稼業』とこの小説を比べざるを得なかったのだが、こちらの方が良く書けているように感じた。
特にヒロインと主人公の心が近づいていく課程が、外的な事件を絡めて上手く描けていた印象。それが如実に出たのは、やはりクライマックスのヒロインの内的成長の描き方だと思う。
奇跡は機能すれば効果的だが、そのためには機能させるだけの準備が必要だ。奇跡なんて外的な出来事を起こさずとも、少女の決心という内的なドラマで、クライマックスを描くことは可能なのだ。
あ、あと単純に主人公の立場が捻ってあって導入から面白いです。
2009年7月30日木曜日
夜と血のカンケイ。
ルゥとよゐこの悪党稼業
2009年7月24日金曜日
勇者と探偵のゲーム
僕らはいったい、どんな物語を語りうるんだろう?
絶対的な正義も悪も、リアリティを失った。
21世紀のこの時代に、努力と勝利の進歩主義を信じることは困難だ。
そんな中、物語は何を語るべきなのか?
ベタでネタでメタなストーリーが氾濫している。
だがメタゲームの向こうには無限後退があるだけ。
そこには何もない。
それじゃあ本当の物語ってなんだろう?
人は生きて、死ぬ。
それは恐らく物語の最も原始的な形であり、生に喜びを感じ、死に悲しみを覚える限り、人間は物語から逃れることはできない。
意味のない死を意味のないまま受け入れろだって?
物語を捨てる? 馬鹿な!
必要なのは、本当の物語だ。
誰かの借り物ではなく、納得のいく自分の言葉で、できるだけ誠実な物語を語ることだ。
それはきっと、誰かの借り物ではなく、納得のいく自分のやり方で、できるだけ誠実な人生を生きることなんだと、僕は思った。
2009年7月23日木曜日
その日彼は死なずにすむか?
2009年7月22日水曜日
とぅ うぃっち せる!
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