2008年11月24日月曜日

僕らのミライへ逆回転

ジャック・ブラックであの話のあらすじで、と想像していたものが想像していた通りに出てきたので、それはそれでちょっと凄いことだなあと思った。
脚本的にはややジャズの人のエピソードが絡みきってない印象もある。途中で「この建物を歴史的に保存できる!」みたいな話が出てきたときは、いったい何かと思った。逆算すれば、最後にあの映画をとる以外の選択肢はないのだが。

2008年11月18日火曜日

恋はデジャ・ブ

恋はデジャ・ブ

ビル・マーレイの勝利。たとえば主演が美形だったら? 「なぜ主人公の視点がループしたのか?」という疑問持ったってしゃーねーじゃんと思わせられる、ベストキャスト。
ホームレスのエピソードから主人公の行動が変わっていく脚本は流石。主人公がメタ化しすべてが無価値となって行きがちな構造の中で、初めて他者に重きを置くエピソードとして、まあ出色の出来であること。参りました。

2008年11月17日月曜日

闇の子供たち

この監督は正直本当に合わない。ラストに桑田佳祐の歌謡曲をガチーン!とぶつけてくるのもそうだけど、いかにも思わせぶり過ぎる少女アップでのフラッシュバックだとか宮崎あおいが「遅すぎます。九時で」というあたりだとかラスト前の「ああああああああ」だとか、もう本当に観ていてだめだあと思います。根本的に合わない。
まあでもそれは個人的な嗜好としておいといて、どうしても脚本で気になったのはNGO宮崎あおいの役柄の薄っぺらさで、あのキャラクターの純粋さが新聞記者江口洋介と対比されるべきなのだから、やはり宮崎にも江口に匹敵する、というかむしろそれを凌駕する説得力が必要だと思うのです。しかし自分は全くそれが感じられず、クライマックスにつながる「ああああああああ」も思わず映画館で笑ってしまうくらいで、っていうか車爆発突然見せられてもエモーションがついてこねー。理想に生きる女として宮崎を設定するのは正しいのだろうけど、もっと説得力を持たせないと江口の自殺が浮いて浮いて仕方ない。まあ現にあんだけ闇の子供たちにリアリティーがあるのだから、そこでどれだけ光の大人を持ってきたところで所詮は絵空事、ということかもしれないけど。

しかしこの監督の弱者への視線は一貫しているように思われて、映画自体が合う合わないは別として感銘を受けました。

2008年11月15日土曜日

MA棋してる!

MA棋してる!(1) (富士見ファンタジア文庫 み 2-1-1)

棒銀を馬鹿にするなんてひふみんに謝れ!
というのはさておき、いやさておけない重大なポイントではあるのだが、というかいろいろ将棋ファンとして突っ込みたいところは多いのだがまあそれはエンターテインメントとして割り切るべきところなのだろう。けどこれ全然将棋である必要ありませんよね。中住まいで雀刺しってあるんですか? あとそもそも中住まいが「守りが薄いから攻撃的にならざるを得ない」って説明はあってんのか? 中住まいって守りが薄いからこそ、むしろ相手とのバランスをとりながら慎重に距離を測る気がするんですが。あと穴熊は自陣を固めたら後は多少の損はあってもOK力尽くでいくぜ! という戦法という説明がデフォな気がするんですが、それに言及しないってのもさることながらそもそも魔法の力を得た少女が最初に使う戦法としてどーよ? どうでもいいけど親父永世棋聖とかあの若さでとっちゃってすげえですね!
なんて将棋的な疑問はさておいて、こういうモチーフをバトルに引用する困難さばかりが目についた作品だった気はする。そもそも「駆け引きが凄いぜ!」という部分をアピールしたい作家なのだろうけど、そんなに効果的に働いている気がしない。地の文で説明せずに行動や仕草で「わからせる」のが作者の腕の見せ所だろう。バトルが散漫な印象になっているのも、まあ普通に将棋とc++じゃ土俵が違うからルールが規定されず、駆け引きができないというところに尽きるんじゃないのか。

あとがきに違和感を感じたんだが、魔法少女の本質を異世界との交流に当てはめてしまうのは違うくないか? 魔法少女のテーマはいろいろあるけれども、異世界からやってきたマスコット的存在はすぐに日常側に引きつけられる存在で、むしろテーマは日常から離れてしまった力を持った魔法少女の側に生まれる気がするんだけど。何でも異世界との交流に当てはめてしまうその感覚って、それこそ覚え立ての棒銀みたいな。ひふみんごめんなさい!

アヒルと鴨のコインロッカー

アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)

相変わらずうめーなーと白旗を揚げながらよんだけれども、だからといってミステリ的なトリックがバチコーン! と填っているような気もせず、理屈の上ではそうなるんだろうけど感情が納得してねーというか、そんなことを言われても誰がうれしいんだよと言うような感じ。
もするがしかしその引っかかりがあるからこそあのラストの読後感があるわけで、そういう意味ではちゃんと意味のあるトリックのような気もするのだった。
まあともかくこんな派手でないトリックも地味時系列の入れ替えもそれ単体ではそこまで激しく効いてこない話で、それでも全く読むのが飽きない、というかむしろぐいぐい読ませるこの不思議な魅力がこの作家の特徴なのかと思う。

2008年11月12日水曜日

デジャヴ

デジャヴ

アホかふざけんな! どんだけ理屈の上では辻褄あったって数あわせでハッピーエンドだって、一人の主役が死んでそれで大団円とかあり得ねーぞ!
過去の犯罪に責任を負わねばならないかとか明らかにタイムマシンものの宿命をテーマにしておきながらこのオチはない。「行動が歯車に組み込まれる」「未来は変えられる」はどちらの結論を選んでも据わりが悪いが、かといってそれが中終盤のストーリーをぐいぐい引っ張ってるんだから、ラストの着地の土壇場でスルリと逃げるなんてもうアホかと。過去の自分が犠牲になったから変わった未来の自分たちがハッピーエンド、とか誰が納得すんだっつーの!
だいたいそんな理屈で未来が救えるんだったら、そもそもこのは映画なりたたない。もっと利口な方法で未来を救うべきで、アホな子たちがマズイ方法で過去を救い損ねた話になってしまうワケだ。

「行動が歯車に組み込まれる」ことを前提にするとやっぱり悲劇は避けられない。エンタメとしては致命的。
かといってハッピーエンドを迎えるとタイムトラベル自体のリアリティが成り立たない。
で、その落としどころが、「過去の自分が犠牲となり、未来の自分がハッピーエンドを掴む」?
それはない。

あーいやでも、だったらどうすると訊かれても困るけど。
現在と過去の交錯する中盤の展開はエンタメとして優れていたと思うので、まあそれはそれでいいのだろうけど。
だけど。でも。下手にタイムマシンの本質を突いてるからこそ、なんだかなあ。

2008年11月11日火曜日

H+P(1) ―ひめぱら―

H+P(1)  ―ひめぱら― (富士見ファンタジア文庫 か 5-1-1)

「ウッセー馬鹿オレはファンタジー異世界に飛ばされて美姫5人に囲まれて正義の旗印の下にニャンニャンしたいんじゃー!」というティーンの童貞マインドと「いやいやでも紳士たる僕は愛のない男女交際なんて不可能です!」という理性的な僕のせめぎ合いだけでこれだけの作品を完成させてしまったその勢いは、いやそれだけで作品作り上げるのってどーなのとかいう理性的なツッコミやとりあえずマスコット出しとかなきゃだめだよね的な打算やストーリーの落ち着けるために伏線無用実は伝説の力持ってます的最強マインドへの反感を遥かに置き去りにして圧倒的に正しいのだが、いや本当にそれで正しいのだろうか? オレ読んだことねーけど殺×愛とかってそんなノリで読めるの?
しかしなんか引っかかるのが主人公を囲む美姫5人の性格付けで、「次女:母性巨乳」「三女:ロールツンデレ」「四女:地味内気」「五女:元気ロリ」ときたら「長女:正当派姫」すなわちナウシカ的清廉潔白系ヒロインに決まってるじゃろーが! と自分的には確信しているのだがなぜツンデレか。三女とかぶってるのいいのか。ルイズか。
よりどりみどりの姫がいる中で、「敵と戦う」という使命を負う主人公と戦場の武士道マインドでたった二人わかり合えるからこそ真のヒロインの地位が約束される、という構造の方がエレガントに思え、「ヒロインはツンデレでしょ!」という短絡的思考から導き出された性格付けは姫としての正ヒロインの神聖性をなんか俗悪なものにおとしめているように見えてならないのだがどうだろうかきもいですかそうですか。