2009年7月30日木曜日

夜と血のカンケイ。

夜と血のカンケイ。 (電撃文庫)

『ルゥとよゐこの悪党稼業』に引き続き読んだら既視感。以下、類似点を箇条書き。
・異世界のヒロインと主人公が不本意な契約を結ぶ
・ヒロインは徐々に主人公に惹かれていく(ツンからデレへの移行を描く)
・クライマックスではライバルと対立するが、ライバルは女性で自分と同等の能力しか持たない
・ヒロインがゴスロリ
現在のラノベにおいてよく見る共通点だと思う。
ツンデレ・ゴスロリのセットはいい加減にして欲しい気もするがまあそれはそれとして、クライマックスでの対立が「圧倒的な力を持つ強敵」ではなく「同等のライバルである」というのはここしばらくのトレンドのような気がする。

主人公が傍観者であり、異能を持つのが少女であるフォーマットにおいて、主人公が強敵を倒して成長するモデルは通用しない。かといって一人称視点ではない少女を成長させてもカタルシスは薄い。
そこででどうするかというと、力関係が同等である「ライバル」を置き、クライマックスのカタルシスを「ヒロインの内面的成長」に求めるのだ。主人公と関わることにより、ヒロインは内面的に成長し、ライバルを退け、「ツン」から「デレ」へと移行する。なるほど、納得!

さて、立て続けに読んだこともあって、自分は『ルゥとよゐこの悪党稼業』とこの小説を比べざるを得なかったのだが、こちらの方が良く書けているように感じた。
特にヒロインと主人公の心が近づいていく課程が、外的な事件を絡めて上手く描けていた印象。それが如実に出たのは、やはりクライマックスのヒロインの内的成長の描き方だと思う。
奇跡は機能すれば効果的だが、そのためには機能させるだけの準備が必要だ。奇跡なんて外的な出来事を起こさずとも、少女の決心という内的なドラマで、クライマックスを描くことは可能なのだ。

あ、あと単純に主人公の立場が捻ってあって導入から面白いです。

ルゥとよゐこの悪党稼業

ルゥとよゐこの悪党稼業 (HJ文庫)

まず「ツンデレ」キャラクターとしてのヒロインが存在し、「ツン」から「デレ」移行の装置としてのクライマックスを付け足す。ドラマからキャラクターが浮き彫りになるのではなく、キャラクターを引き立てるためドラマが設定されている。ならば最初からドラマなどつくらずに、「ツンデレ」という両者の移行のないキャラクターとして、四コマ的日常を描けばよい。
「ツン」から「デレ」への移行を描くには、ドラマへのこだわりが足りなすぎる。

2009年7月24日金曜日

勇者と探偵のゲーム

勇者と探偵のゲーム (一迅社文庫)

僕らはいったい、どんな物語を語りうるんだろう?

絶対的な正義も悪も、リアリティを失った。
21世紀のこの時代に、努力と勝利の進歩主義を信じることは困難だ。

そんな中、物語は何を語るべきなのか?

ベタでネタでメタなストーリーが氾濫している。
だがメタゲームの向こうには無限後退があるだけ。
そこには何もない。

それじゃあ本当の物語ってなんだろう?

人は生きて、死ぬ。
それは恐らく物語の最も原始的な形であり、生に喜びを感じ、死に悲しみを覚える限り、人間は物語から逃れることはできない。

意味のない死を意味のないまま受け入れろだって?
物語を捨てる? 馬鹿な!

必要なのは、本当の物語だ。
誰かの借り物ではなく、納得のいく自分の言葉で、できるだけ誠実な物語を語ることだ。

それはきっと、誰かの借り物ではなく、納得のいく自分のやり方で、できるだけ誠実な人生を生きることなんだと、僕は思った。

2009年7月23日木曜日

その日彼は死なずにすむか?

その日彼は死なずにすむか? (ガガガ文庫)

変えられなかった自分を変えて、少しずつ周りの環境に影響が出ていくプロセスは、感情移入の点など非常に良く書けていると思う。後半の時間の飛ばし方なんかも読んでいた限りではものすごく自然に感じた。
しかしまあ思考実験なのはわかっているとはいえ、女友達と仲良くなるだけで男子の成長が肯定されハッピーエンドを迎えるってのは、非常に抵抗がある。キャラクターを装置として見たとき、作中には恋愛対象の女性3人(とマスコットキャラ)しか存在していなくて、それでも物語が成り立ってしまうのは、果たして良いことなのかどうなのか。

純愛を探せ!

純愛を探せ! (GA文庫)

決して奇をてらわなくても、手垢にまみれた設定の中でも、キャラクターが生きてきちんと恋愛ドラマが成立していれば面白いのだ。

2009年7月22日水曜日

九罰の悪魔召喚術

九罰の悪魔召喚術 (電撃文庫)

ラストで自我の問題について考えてしまうが、まあいずれにせよ「死」は物語が切る最後のカードであり、特に主人公のそれについては慎重に扱うべきだと感じた。
あとこういう作品でヒロインに悪魔は多いが天使は少ない気がするのだが、もしかしたら撲殺天使の印象が強すぎるんだろうか。

とぅ うぃっち せる!

とぅ うぃっち せる! (電撃文庫)

ラスボスがスライム強化版なところに勝利のカタルシスは得られるはずがない。作中の描写程度では所詮スライムはスライムにしか過ぎない。大切なのはラブコメで、「修行→成長」なんて暑苦しい構造は不要になってしまっているのである。あー、なんかこれ最近どこかで聞いたなあ、と思ったらアレだ。「タッチ」だよ。というのは最近のラノベに対しての雑感。で、この作品については最低限勝利のカタルシスを得られるようになってからラブコメをやって欲しい気はする。