「セカイ系の克服」という視点から読む。
すると彼女の求めるモノがセカイ系の結末に他ならず、それを卒業した主人公が彼女を導くという形式は、まあ格好から言えば説教くさいことになりそうではある。
でもこの小説の克服の方法はただの理屈ではない。実際社会側で生きることを選択した主人公の行動が掛け値なしに面白いので参る。心底参る。
単純化してしまえばそれはたとえば彼女の持つ価値観のレイヤー(「セカイの滅亡」「君と僕」)と、主人公の価値観のレイヤー(「君と僕」「クラス」「家族」「都市伝説」「過去と現在」)の数の違いによるのかなあ、とも思う。
単純に多ければいいという問題でもなく、セカイ系はそのレイヤーを減らし純度を高めることに意味があるのだろうけれども、多ければ多いほど問題は面白くなりうる。
これは受け手の側の興味も関係してくるか。
でもこういう方法でセカイ系をねじ伏せるなんて思ってもみず、正直読んでて歩けなくなった。本当に参った。
あと彼女の側に非現実の存在である可能性を残しているのも計算されたミソ。「あちらの理屈に正当性があり得る」ことを認めた上で、なおかつ主人公側の主張が勝利を収めることで、ものすごく説得力が増している。
2008年12月11日木曜日
AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~
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