ロケット小説というのは多かれ少なかれロマンチシズムが流れてるものだが、この小説の感傷はちょっとただ事ではない。
『発狂した宇宙』を読んでこの作者は基本的にエンターテインメントの作家だと思うのだが、そこら辺も併せて考えると、あえてここら辺に作品を着地させたのが意外すぎて驚いた。
この感傷を生み出すには、やはり最後はああでなければならなかったのだろう。
しかし、ああ! 最愛の人の遺志を受け継いだ後、あれだもんなあ。肩すかし、とおもわれても仕方ないのかもしれない。
しかしあの解説はちょっとひどくないだろうか。
別に嫌いじゃないんだけどさ、グレンラガン。でもオレはフレドリック・ブラウンの復刊された小説をやっと手に入れて読んだわけでさ。たっぷり感傷に浸りたいところなのに、そんなグレンラガン連呼しなくてもいいじゃないか。ホントに。
2008年12月12日金曜日
天の光はすべて星
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