冒頭で「ウヒョー! サイバーパンク!」と叫びそうになってしまったが、読み進んでみるとまあ『ソリッドファイター』『スラムオンライン』なんかに連なる正統派ネット対戦格ゲー小説なのだった。まあサイバーパンクじゃ売れないだろうからなあ。
読み物としてはかなり面白い。適度な謎解き、スリル、カタルシス。弱者が新たな世界で成功していく期待。まあ現実世界の中での加速装置の位置づけや、普通のネット・アバター、川上稔補完の組織の仕組みなんかが一巻の尺じゃ使いこなせていないから、そこら辺はこれからに期待という感じだろうか。
一巻だけではこの作者のこのバランス感覚が意図的かどうかわからないというのも正直なところ。冒頭の「ボーイ・ミーツ・ガール」はもう正しすぎて平伏するしかないのだが、ラストシーンでの決着なんかを見るとこの作品の着地点がしっかり見定められてるのが心配になる。
「学校でのいじめ」で一度絶望してしまっている主人公は、世界に対してそう信頼を取り戻せないはずで、なのに友人と割とサクッと元鞘になってしまうのがひっかかる。無論先輩とのやりとりを乗り越えての人間的な成長があるのだろうけど、それにしたって友人の裏切りは主人公の心の根底の部分をポッキリ折ってしまっていた方が自然で、そんな彼を信頼するにはやや説得力が足りなかったような。単純に自分が、先輩の主人公に対する無償の愛と、それによる主人公の変化を軽視しているだけだろうか?
ネットはスラムであり、ゲーマーとは求道者であり、戦いとはむなしいモノだ。ってイメージが先行しすぎなのかもしれない。
人と人が順位をつけ合い、トップを狙うその世界で、人と人の繋がりや信頼ってどのように位置づければいいんだろうなあ。
この作品は、リアルの人間同士でミニマルにやっているからその部分に焦点が当たらないが、こういうジャンルの小説においての大きなテーマである気はする。
あと自分は読んでいる途中「先輩死ね!」と心の中で連呼していてびっくりした。まあラノベ的にあそこで死なないのは絶対に正しいんだけど、でも時には正しさが崩れいびつになったところに作品の魅力が生まれるわけで、もし先輩が死んだら……と考えたらいてもたってもいられなくなってしまった。
まあこれも求道者のイメージが近いのかなあ。主人公には力石を追うジョーになってもらってですね、そこに彼の生き方を理解できない幼なじみが、それでも側についているという。いややっぱりラノベでやることじゃねぇなあ。でもそれも面白そうだし、自分のイメージだとアリなんだよなあ。
あと、せめて先輩を全身不随にするとか。で、ネットの中のみで自由に生きるレベル9。そんな彼を、ベッドの側でトーク・トゥー・ハーしながら見つめる主人公。やり過ぎか。
まあいずれにしろ、「先輩が事故に遭ったこと」に対して、何らかの取り返しのつかない肉体的ペナルティを課さないと、あの事故自体が軽んじられてしまう危険性はあると思う。アレって主人公の過失として、永遠に刻印されなければならないイベントじゃあないかなあ。
2009年2月27日金曜日
アクセル・ワールド〈1〉黒雪姫の帰還
2009年2月25日水曜日
銀世界と風の少女
「地雷」という現実的にもかなりシビアなテーマを作品の根幹にしておきながら、しかし描かれるキャラクターたちのエピソードがあくまでも深みのない絵空事で、全体的にちぐはぐな印象を与える。一人の王女が軍を動かすことにここまで説得力がない(そしてそれを許容してしまっている)のでは、作品として立ち位置を見誤っているのではないか。
人間の愛憎が生み出した戦いが、一気に神話的な存在に飲み込まれていく様は確かに心を揺り動かされるものはあるが、しかしその作品のクライマックスと群像劇という形式が上手く噛み合っていないように感じた。有り体に言ってしまえば、前半の群像劇がただのかっこつけにしか見えないのである。
(群像劇自体が悪いわけではない。あのページ数であれだけのキャラクターを描いたのは確かにいい仕事だと思う。ただ、作品の構造にそぐわない)
この作品は、芯として作者があとがきで書いた「砂漠を走る少女」のイメージをしっかりと通すべきではなかったか。一人の非力な孤児が、幾度となく苦しみ、世の中の汚らしい姿を見せつけられながら、それでも心の清らかさを失わずにただ走ることだけを心の支えにして生き続ける。少女は成長とともに社会に巻き込まれ、貧困、愛憎、戦争、といった人間たちの愚かさに直面させられる。そしてその人間の愚かさの頂点として、憎しみを生み出すためだけの地雷と、愛が故に世界に争いを招く女王が存在する。砂漠で行われるクライマックスの戦闘は、まさに人間の戯画である。
人々は殺し合うことしかできない、大人になった少女はそれをちゃんと知っている。だがそれでも、彼女は走り続ける。人々に愚か者と罵られ、一人の人間が何をできると嘲笑されながら、憎しみと死が埋もれる銀の砂漠をひた走る。走るという純粋な行為だけが、神話や考古学や戦争や憎しみや人々の愚かさを完璧に振り切って、ただ一人、彼女を砂漠の神と同等の立場へと導く。
ところで砂漠に蟹といえばガルディーンですよね。
2009年2月24日火曜日
アルゴ探検隊の大冒険
2009年2月23日月曜日
2009年2月22日日曜日
2009年2月15日日曜日
なにいろアスタリスク!
女性声優が書いた小説なのだが、これはまさしくゲームを主戦場にしている女性声優が書いた小説って感じがして非常に面白いと思うのだけれどもあんまり同意してくれる人がいなそうだ。ドンマイ。
ストーリーの展開はもの足りず、いかにも過ぎる伏線(鏡)や強引な偶然性(入院先の病院)、動機の不整合(なぜ今まではダメだったのに演劇でへこたれなかったのか)など、まあ女性声優がお話を書いてみましたって感じの物足りなさが多い。
だがこの小説の真骨頂はキャラクターのマイナス思考に陥る心理描写の巧みさと、それに対するエクスキューズのなさである。劇団の先輩からいじめを受けただけでマイナス思考スパイラルで暴れ回る少女を主人公に置くのがまずすげえんだけど、それに対してなんらフォローがない。これはいわゆる「何の特徴もない型の主人公」の話で、こんな心理描写したらなにか「彼女がこうならざるを得なかった」理由とかを読者に納得させて、それでも彼女に感情移入できるような仕組みを作ると思うんだけど、その構造が全くないのである。
オレはそれを読んで「うわ作者すげえ」と思った。ってのはどういうことかというと、作者が読者に対して、「社会不適合者」であるヒロインに普通に感情移入するって考えているところだと思う。ホントかウソかは知らないけれど、この小説の向こう側に、そこら辺に配慮がないまま平然としている作者の姿を読み取ってしまったのだ! (いや、実際どうだかは知らないけれど)
2009年2月13日金曜日
2009年2月11日水曜日
ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート
2009年2月10日火曜日
二人で始める世界征服
2009年2月6日金曜日
ベロニカは死ぬことにした
2009年2月5日木曜日
喰霊-零-
全話見た。例の第一話は前後半で演出のバタ臭さをあえて変えてある説を主張。
中盤までの構成がすばらしい。回想形式にして悲劇までを煽る仕掛けはオーソドックスではあるが効果的で、それに加えて「倒すべき敵はあくまで間接的に主人公たちを試す」「憎しみが憎しみを呼ぶことに説得力がある」「憑依された人間を倒せるかというテーゼが近親者へと移っていく」という細部がさらにテンションを上げさせる。
しかし、おそらく原作に繋げるために調整されたであろう後半で肩すかしを食らう。「憎しみの連鎖が断たれる」ことに、感情的な説得が足りていないように感じた。憎しみの連鎖と百合の愛、後者が勝っているように思うには、百合訓練が足りないということだろうか。
しかし、「私は何をしていたの!?」という自意識の復活は、もちろんストーリー的には必要で妥当なんだけれども、作者の都合を感じてしまうなあ。
2009年2月4日水曜日
世界中がアイ・ラヴ・ユー
最高の人生の見つけ方
2009年2月3日火曜日
超自宅警備少女ちのり
これまた不思議な小説だなあ。
「自宅警備」というタイトルと「町内がMAX」という舞台と「世界征服」という最終目的と「地底人」というギミックが、まあ見事なくらい噛み合っていないというかなんというか。第一話でいきなり地底人出しておいて、そこから敵が学園の財閥のお嬢様って、それ順番逆じゃない?
まあ小説の内容からして別に問題じゃないんだけど。
当初から予想はできたけれども、ものの見事に「主人公が許すだけ」というポジションを貫いているのだった。「ダメ腐女子」を許すのが主人公に求められる唯一の技能であり、ピンチにはそれまでの性格や文脈をポーンと飛び越えて「もっと熱くなれよ!」的なことを言っておけば万事が解決するのである。アホか。
ってかあれだけ相手の趣味を研究しておいて、主人公以上の男性をあてがわないのは、この小説の貧困さを示しているよなあ。「美形」で「オタクに理解がある男」をあてがうだけで、ちのりはたぶん主人公の元へと帰ってこられなくなるのだから(それに対抗できる主人公の魅力が、作中では述べられていない)。
繭の少女と街の防人
こちら側と向こう側のオカルト話。
縁をキーポイントに専門職の人間が謎を解決する形式は「モノノ怪」を思い出すし、現代を舞台にした最近のライトノベルでは『幽式』か。
一話読みきりでゲストの謎解決というオーソドックスなフォーマットであるが、しかしこの形式の肝である「単話の謎のおもしろさ」「軸となるキャラクターの魅力」の両方を満たしていない。各話の解決へのプロセス自体は、きちんと書けていると思うのだが、それだけに残念ではある。
特にヒロインがストーリーに絡まないのが致命的。ストーリーの装置として働かないただのマスコットでは、どんなに魅力的なヒロインであろうとも蛇足。って、表紙に出てる人がヒロインだとしたら、まあそれはそれでどうかと思うけれど。
あと、会話の間にいちいち地の文で解説が入るのは非常に読みづらい。そこを省略させても会話の雰囲気を読み取らせるのが腕でしょう。