別にオカルトなことを言うつもりはないけれど、物語ってのは登場人物やら立場やら設定した時点で自然と構造が決まり、語るべきテーマが生み出される――と自分は信じている。力学っつーかなんつーか、まあそういうモノ。
で、今回読んだ『手のひらに物の怪』は、そういう力学がすげーはっきり埋まってて、でもそこから導き出されるテーマがあんまり上手く掘り出されてないと感じた。
ので、後出しじゃんけんならなんとでも言えるぜ! 僕の考えた『手のひらに物の怪』いってみよう!
1.妖異とはあちら側の存在でなければならない
妖怪は境にいるものとかなんとか聞いた気がするけれども、読んで字のごとく妖異は日常から離れた場所にいる存在でなければ意味がない。
今作は大まかにいって、こちらとあちらの境界を軽率に踏み越えてしまった主人公が、しっぺ返しを受ける物語だ。そういった構造を際立たせるために、前半と後半の妖異像は明らかに異なった印象を与えるように描かれている。
しかし、自分には前半と後半のギャップが、ややアンフェアに表現されているように感じた。いろいろと理由はあると思うが、やはり主人公が境界をまたぐ前半の描写に、障害がなさすぎるのではないかと思う。ほのぼのとした妖異とのふれあいの中にも、「主人公は境界をまたいでいるのだ」という注釈を読者にもきちんと伝えることで、後半主人公の犯す失敗の重みが全く違ってくるはずだ。
2.支部長は過ちを犯してはならない
支部長はコミュニティを束ねる存在であり、各人員のひとつ上位のレイヤーで物事を見据える存在である。作中の描写からしても、彼は当面本作品における判断の基準点になるはずだ。
その支部長が、周囲の常識的判断と正反対に、主人公を不可思議な理由で受け入れているのだから、その判断は正しくなければならない。(おそらくこの支部長の判断が、1のように妖異が日常と異なるものに見えない大きな原因になっているように思う)
本作品において、支部長の判断は誤りだった。
もちろん、主人公の背後に強大な力が存在することを見抜いた時点で、「ひとつ上位のレイヤーで物事を見据える」という、物語上の役割は果たしているようにも見える。
だが彼の判断によって人員が瀕死の傷を負ったのも事実で、そうなった以上、支部長の判断は誤りと判断されてしかるべきだろう。
まあしかし、主人公が判断を誤り仲間を死に追いやらなければ物語が駆動しないのも事実。
自然な解決法は、「支部長が主人公に誓約を交わさせる」ことだろう。もし誓約が守られれば誰も傷つくことがなかった――といういいわけを用意することで、支部長の立場が保証される。
また、主人公が仲間を傷つけてしまったという負い目を、制約という非常に強い形で提示することにより、物語は大きく駆動させられる。
3.主人公の動機は贖罪が望ましい
さて、興味半分であちら側の存在に手出しし、仲間に瀕死の重傷を負わせるという大失態を演じた主人公は、一度組織を追い出されることになる。
彼は人間と妖異の圧倒的な力の差を見せつけられ、通常の人間が関与できない、非日常の理があることに気づかされるのだ。主人公は興味本位で、またいではいけない線をまたいでしまっていたのである。
「(前略)おうちに帰んな、坊や」(p.220)
組織を追い出す際の支部長の台詞はまさにそれを示している。本来ならば、子供である主人公がどれだけあがいたところで、大人になれるはずがないのだ。
しかし物語とは因果なもので、主人公がそこで日常へとどまり続けるわけにはいかない。一度組織を追い出されつつも、主人公はあちら側へと再度アプローチしなければならないのだ。
「役立たずを返上しよう、草太。使えるやつなんだって証明するの」(p.236)
上の台詞にもあるように、この物語において主人公の再アプローチの動機付けは、「自己実現」として描かれている。そして物語は最終的に主人公があちら側の力を使うことにより、自己実現が成し遂げられることになる。
しかしこの時点では、主人公があちら側の能力を扱えることが保証されていないため、主人公の動機付けが自分勝手なものに感じられてしまう。
この時点で、支所長の「主人公が足手まといである」という大人の論理は正当なものであり、主人公もそれに反論はできないはずだ。
それでも主人公があちら側に関わろうとするのなら、その動機は自己実現ではない別種の論理であるべきであり、おそらく「贖罪」がふさわしいだろう。
「自分が足手まといになる」という大人の理屈は確かに正しいが、しかし、それでも自分が犯してしまった罪を償いたい、自分のせいで傷つけてしまった彼女を救いたい――そんな動機が主人公を行動させれば、より物語の構造がすっきりとするはずだ。
4.ヒルダの役割ーー死者への憧憬
興味本位で異世界へと足を踏み入れ、そのせいで仲間との別れを経験してしまった主人公。これからも彼が異世界へと踏みとどまろうとするのなら、同じような危機が何度も襲いかかるはずであり、そのたび失ってしまった仲間――すなわちヒルダの記憶が脳裏をかすめるはずだ。「彼女のような目に遭う妖異をなくしたい」というのが主人公の動機になり得るのである。
その意味でも、ヒルダはもう少し「憧れの人」としての側面を描いた方が効果的に機能したのではないかと思う。死者への憧憬は永遠である。セイラさんである。
また、子供でありこちら側の世界の人間である主人公と、大人でありあちら側であるヒロインの対比というのは、やはり構造的に美しく見える。
5.刹里の役割ーーライバルとの対比
当初は主人公の先導者として、より「大人側」「あちら側」を進んでいる刹里。だがラストシーンで主人公は覚醒し、彼女よりも潜在的に高い能力を持っていることが示唆される。
おそらくここから先は、努力で積み重ねた能力により勝利への確立を少しずつ高めていく刹里と、高い潜在能力で状況を逆転する主人公との対比が生まれるだろう。
しかし、たとえ能力でのアドバンテージを失っても、刹里は精神的に主人公より「大人」であり、彼よりも多くのものが見えているはずだ。その点も含めて、以下に引用した初期のやりとりはいかにも皮肉で、ふたりの関係性を見事に表しているなあ、と感じた。
「あんたさ、ひょっとして学校の成績が良かったりするタイプ?」
「……何よ、急に」
「頑張ったら頑張ったぶん、結果が出て当然だと思ってるだろ?」(p.65)
能力的にはほぼ同じ立ち位置にありながら、努力と才能で分かたれるライバルヒロイン。恋愛を絡めるにはうってつけのポジションではないだろうか?
6.ミコトの役割ーー異種恋愛による正ヒロインの保障
本作品において、メインヒロインの位置にいるミコトは、外的なストーリー展開においてなんの役目も果たさない。何か特殊な攻撃能力があるわけではないし、運命的な役割を果たすわけでもない。
それでもメインヒロインとしての全うするならば、彼女は内的な動機を支えるべきだろう。一度は組織から追い出され、妖異にそっぽを向かれた主人公。折れかけた彼の心を再び奮い立たせたのは、たった一人残った妖異のミコトだった……というポジションである。ミコトが「携帯電話」についているのは、彼女がコミュニケーション能力に特化したことの象徴としてとれるだろう。
また、ヒルダでのエピソードでも言及されていたが、異種族が愛し合うことが禁忌ーーというのは、これからこの作品が続くにつれ、避けられないテーマとなってくるはずだ。しかしそれを乗り越えてなお、相手を愛そうとするその強い意志を表現することができたとすれば、それは「耳鳴坂妖異日誌」という作品の中で、なんの能力も持たないミコトが正ヒロインとしての立場を全うする説得力となるだろう。
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