率直に言ってギャグが全く面白くないと感じたのだが、同様に全く面白さのわからなかった『生徒会の一存』がアニメにまでなっている以上、面白くないの一言で済ませるわけにはいけないのかもしれない。
ギャグの面白さとは何か、ずっと考えている。
ひとつ感じたことは、もしこの小説がアドベンチャーゲームだったとしたら、同じ台詞のやりとりも面白く感じられたのかもしれないということだ。立ち絵でキャラクターの表情がわかり、音声で台詞のニュアンスが伝えられれば、会話の受け取り方が違ったかもしれない。
逆に言えば、この小説は台詞の外のニュアンスを伝えることができていなかったのではないかと思う。自分は読者として、しばしば作者のギャグにおいて行かれたような印象を受けた。
そしてそのおいて行かれたような印象は、ギャグだけでなく作品全体にも感じられた。作者の持つ世界観の常識が、読者にきちんと伝わっていないため、常識のずれから生じるギャグやストーリーの意外さが、余りよく機能していない。
たとえば「ツンデレ」のようにキャラクターを類型化する作業は、もしかしたらその行間を埋め合わせる役割を担っているのかもしれない。共通の枠組みを利用することで、会話だけのやりとりだけでもキャラクターの言葉のニュアンスを想起させることができる。
じゃあ『生徒会の一存』で、普通の読者は行間が読めており、自分はキャラクターの共通認識を持っていないが故に、面白くないと感じられてしまったのか?
うーん、そうじゃないと信じたいんだけどなあ。
2009年5月18日月曜日
オルキヌス 稲朽深弦の調停生活
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